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藤瀬恭平について

佐賀県佐賀市南佐賀にあるフジセデンタルクリニック。約2年前に開業され、今では多くの患者様の口腔内の健康を保ち地域医療に貢献している。そのフジセデンタルクリニックの院長が藤瀬恭平(ふじせきょうへい)である。
「歯科治療は何か一つに特化すれば良いというものではない。トータルで診断ができることが大切」という確固たる信念を持つ藤瀬はどのような人物なのだろうか。

  自分の細かい仕事の結果が   患者様に分かって頂けることの喜び。   歯科医師になって良かった。   自分の細かい仕事の結果が   患者様に分かって頂けることの喜び。   歯科医師になって良かった。

生まれは佐賀県のほぼ中央部に位置している江北町。周りは田んぼの田舎で育った。
地元の小中学校の野球部では毎日のように練習に明け暮れる日々。4番でピッチャーをしながらキャプテンを務めるなど活発な少年だった。

高校は地元を離れて、佐賀県武雄市の武雄高校まで電車で通学。
高校では野球を離れ、バレー部に転身。こちらでもリーダーシップを発揮しキャプテンを務める。
小学・中学と励んだ野球ではなくバレー部に転身した理由を「当時バレー選手として活躍されていた中垣内 祐一選手がとても格好良くて憧れたから。野球部で坊主にしたくなかったという理由もあったかな(笑)」と笑顔で応える。

高校卒業後は一浪こそしたものの、九州大学歯学部に入学。
始めのうちは机上の学問で面白くなかったという。ただ、臨床の実習が始まった途端、のめりこんでいった。
「自分が作ったものが口の中に入って患者様に喜ばれるということに感動・興奮があった。」と藤瀬は振り返る。
その後、研修医としてより治療に携わるようになり、「お金を頂いて尚且つありがとうと言ってもらえる。歯は髪の毛一本でも噛んだら分かるもの。自分の細かい仕事の結果が患者様に分かって頂けることの喜びがあった。歯科の分野に進んで良かった」と強く思ったそうだ。

 
藤瀬恭平について そして2001年に卒業。晴れて歯科医師となる。同大学の補綴科に在籍し、歯科の楽しさ、奥の深さを学ぶ。

その後、福岡市の一般開業医で7年間勤務。
大学から一般開業医の元へ転職した理由をこう述べる。
「いずれ開業をしたいという想いがありました。大学では、最終的な被せ物や義歯を専門に治療する補綴科に所属していましたが、患者様の口腔内の問題に向き合おうとすると、矯正、歯周病治療など様々な知識、技術、経験が必要になります。医院経営を含め、それらを限られた時間で学ぶには、開業医の先生の元で勉強したほうが一番近道だと考えました。大学では最終的な治療に携わっていたぶん、自分に足りないものは明確でしたね。」

そして7年間の修行の後、2012年3月、「フジセデンタルクリニック」の開業に至る。
現在は、開業時の想いを胸に、多くの患者様のお悩みを聞き、適格な診断を行い、最適な治療を提供できるように努めている。
 
将来の夢は歯科医師か建築家でした

そんな藤瀬は歯科医師としての面以外にどのようなことを好む人物なのか、いくつ質問をぶつけてみた。

藤瀬恭平について - 学生のころを振り返るとスポーツの話が多いですね。今も何かされているのですか?
「ええ、佐賀県歯科医師会の野球チームに所属して野球を続けています。今はエースとしてピッチャーをやらせて頂いてます。まだまだ期待に応えられてないですが(笑)」
- すごいですね、、、(笑) 身体を動かされるのが好きなんですね?
「そうですね、スポーツやアウトドア関係、なんでもやるかもしれませんね(笑) 20代の頃にはバックパッカーとして海外を放浪した経験もあります。キャンプも好きというか得意というか。今でも患者様とキャンプに行ったりすることがあります。」
- 素敵なことですね。そういうご趣味が今のフジセデンタルクリニックの経営に影響を与えていたりしますか?
「しいて言えば、私は旅行も好きなんですが、観光に行ったときは建物を良くみてしまいます。建築が好きで、将来の夢は歯科医師か建築家でした(笑) このフジセデンタルクリニックの建物にも結構こだわったんですよ。そういうところですかね。」

フジセデンタルクリニックは、確かに歯科医院というよりはまるでホテルのような建物や内観になっている。こだわりはこちらのページで紹介する。
 

フジセデンタルクリニックのこだわり